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【映画感想】トイストーリー4 - 変わらないものなんてない

賛否両論あるようだから自分がどっち側か知りたいという思いだけで観てきたのだが、最高だった。

あなたはまだ本当のトイストーリーを知らない、っていうキャッチコピーがまさにそれで、3の結末からしてこうくるとは思わなかった。3を観て、「製作陣と私の価値観は合わないんだな。ま、それをハッピーエンドと捉えるのは納得できるしアニメだからそれでいいんだけど」みたいな感想を抱いていたんだけど、4で完全に違和感が払拭された。

 

3が円満なハッピーエンドと思えるタイプの人は否定派かもしれないね……。

 

テキトーなあらすじ

ボニーがウッディとなかなか遊ばなくなっていた頃、ボニーは幼稚園の体験入園でゴミから新しい玩具フォーキーを作る。ボニーにとって大切な玩具であるフォーキーをサポートするウッディ。一家はキャンピングカーで移動遊園地に行くことになる。その先で、ウッディは懐かしい顔に出会う。

 

ちょっとまだ気持ちの整理がついていないというか、あまりにも想定を超えて素晴らしいものを見せられてしまって幻だったかもしれないと思っているくらいなので、いつも以上に支離滅裂かもしれない。先に謝っておくごめんなさい。

泣きながら劇場を出たし傘を劇場に忘れてくるくらい動揺したので……。

 

あと、私はトイストーリーの1さえ初めて観てから1年も経っていないような人間。面白いとは思ったけどファンとはいえないくらいの思い入れ。 

 

もし観るか迷っている人がいるなら是非観て欲しい。レビューサイトの平均値は低くなってしまっているけれども、それは出来が悪いからではないので。

 

ウッディが新顔のフォーキーをサポートするシーン、子供部屋の中で「持ち主に遊んでもらう以外の存在意義」を見出そうとしていたからフォーキーをサポートしてたわけじゃん? もちろんボニーのためを思って、っていうのも絶対嘘じゃないとは思うんだけど、でも半分は自分のためでもあったと思う。

だから結末でああいう選択をしたことは意外ではなかったし、子供には必ず成長があって、ボニーともいずれアンディとの時にあったような別れがくるのだとしたらどこかで今作のような決断は必要だったんだと思う。でなきゃ堂々巡りじゃない?

私が3に抱いた違和感というのはまさにそれで、「ボニーもいずれ成長して別れがくるのだから、振り出しに戻っただけでは?」っていうところなんですよね。玩具だから仕方ないとはいえ、他人本位の幸せを求めていることに変わりはないので、またいつか同じことで苦しむところまで見えていたと思わない? あれはアンディとの感動的な別れでかすみがちだけど、これをハッピーエンドとしてトイストーリーの”終わり”っていうなら、随分と杜撰な終わりだなって思ったんだよね。好きな人ごめんね。

玩具は遊んでもらうためのもので、幸せが他人本位になってしまうのはある意味当たり前だから、別に3のエンドがダメなわけではないと思う。彼らが玩具だから、この落とし所で精一杯ってことなのかなって思ったし3を観た時それはそれで納得はしていた。私も。

 

ボーというかつての仲間が、選ばれるのを待つ側から脱却しているのを見て、移動遊園地で”特定の持ち主を持たない”玩具を見て、ギャビーギャビーやダッキー&バニーのような”そもそも手に取ってもらえない”玩具を見て、ウッディは自分で将来を選択していくことを選べたんだよ……すごくない?こんなストーリーにする製作陣がすごい。私は3観て「それでいいの?」って思ってしまったけどそれでいいはずなんだよ玩具だから。製作陣は玩具の立場を観客以上に理解しようとしていたはずだから、その製作陣がこんな話にするのがすごい。

新キャラたちがほんとにいいキャラなんだよね……。ギャビーギャビーの吹き替えの声優が好きだなと思ったら女優だった。すごい。すごくいい声。可愛い。

 

お淑やかなキャラだったボーがアクティブで”強い”キャラになってしまったのはなんか予告の時からポリコレくさっと思ってなんとなく嫌だったんだけど、観たらこれはこれでかっこいいし、描かれていない間にボーも色々考えてその結論に至ったんだろうと思うと(そもそも1の時から成熟しているキャラクターだったし……)実際このキャラ変わりが流行に乗っただけのものだったとしても視聴者を納得させるだけの理由付けはされているかな、と思えた。

 

 

バズが、ウッディが何も言わなくてもその心中を見抜いたのが本当に良かった。

この何も言わないシーンが今作は多くて、ほんとにいい……。

”それぞれが違う道を歩む”っていうのは人間にとっては当然のことで、別れの理由として不自然でもなんでもないけれど、この二人の別れにショックを受ける人の気持ちもわかる。

人間にとってはライフスタイルの変化に伴う人間関係の変化は否応無しに訪れるものだけど玩具はそうじゃないはずだから、永遠に続く友情が画面の中にはあると思ってしまう。それが玩具であるウッディとバズにも訪れてしまったということが受け入れられないのかなーと。

どういう関係にも終わりがある。仲のいい友達ともずっと一緒ではないし、環境が変われば交友関係も変わっていく。これが現実なら人間は最初から永遠なんて期待していないけど、フィクションの世界にくらいはずっと続く変わらないものを求めてしまうのかな。

もちろんトイストーリーは子供も観るだろうけど、多分思い入れが深くて、子供の頃に1や2を観ていたような人たちは大人と呼べる年齢なんだよな。

そういう大人が観たらショックを受けてしまうのかもと思った。

割と続編で「変わってしまった」点が批難されるのって、立場の変化とか、所属の変化とか関係の変化とかじゃない?

サザエさん時空なんて言葉があるけど、フィクションの人気作品(特にアニメ)でシリーズになってしまっているものは特に関係が変わらないものだと無意識に思ってしまっているだろうし。

 

いつまでも友情が変わらず続いて、これから先もずっと変わらないこと。

それはファンの望むものかもしれないし、それを提供し続けても問題ないと思う。実際そういう作品いっぱいあるし。でも、ずっと変わらないと思っていたものでも必ず訪れる終わりを見せてくれること、これが果たしてファンに対する裏切りなのかどうか……。

私は製作陣がウッディに”自ら選び取れる幸せ”を与えてくれたことがほんとに優しい決断だと思った。

一緒にいられなくなってもアンディとの思い出が消えたわけではないように、バズや他の仲間とも、共有している思い出がある。それで十分だと思う……。 

 

この終わりを見たいか見たくないかって究極に個人的な感情問題なので賛否分かれて当然なんだよね……。Twitter見てたら私と似たような意見を述べつつ「でも好きになれない」とか言っている人みたし。

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