最近夜ベッドで映画やドラマを観てからそのまま寝るっていう怠惰極まるルーチンをしているのだが、これは特にジャンルを確かめないままに再生し始めて、暗い上に胸糞悪い感じのホラーだったのでさすがに夢見が悪かった。
(原題:the KILLING of a SACRED DEER)
テキトーなあらすじ
心臓外科医のスティーヴンはかつて自分の患者だった男の息子マーティンと交流している。ある日スティーヴンはマーティンを家族に紹介するが、それを境に家族に異変が訪れる。
映像と演技とカメラワークの全てが不穏で、ゴーンガールみたいなスリラーかなと思いつつ観ていたらジャンルがホラーだった。
でもやっぱりホラーというよりスリラー的な雰囲気。いやでも人知の及ばない力が働いているっぽい以上ホラーなのか?
あんまりこういうの怖いって感じないんだよな……。
っていうかマーティンはスティーヴンのことが好きなのかと思って観ていた。このど厚かましさと執着、ヤンデレ的なあれなのかなと……。
彼らがもともと普通の家族っぽくないというか、もともとおかしくうつるのが、ボブのやたらと冷静な様子。このくらいの歳の子が、朝足が動かなくて、ある日いきなり目から血が出てきて、こんなに静かにしていられるものだろうか。
でもいざ、スティーヴンが家族のうちの誰かを殺すとなった時、(頭にカバーを被せる時)明らかな抵抗を示すのは唯一ボブで、しかも犠牲になってしまうのもボブなんだよね。
っていうかなんでこんな弾を何発も無駄にしそうな方法を取るんだろう。
これ、スティーヴンがいくら目隠しをしてグルグル回って方向感覚が分からなくなったとしてもこんなに間隔があいていたら、大体今この瞬間に引き金を引いたら誰の方角かなっていうのは分からない?? ましてや一発目じゃないし。
ボブを犠牲にすることをスティーヴンが無意識に選んだような気もするし、単にキムやアナの方にも撃っていたからそれを避けたらボブの方角で、ボブの方に放たれた弾だけがたまたま本人に命中したのかもしれない。それは分からないけど……。
ラストのキムとマーティンの視線はどういう意図で撮られたんだろう。
そしてそのキムを見るアナの目の力強さ。ボブの死によってマーティンの復讐は終わったはずなのに……? この中でボブの死やそれにまつわる一連の出来事が、もう終わったことだと思っているのは唯一スティーヴンだけなんじゃないかな。
日本のポスターでは「鹿殺し」が赤くなっているのを、原題を誤解させるっていう意見を見たんだけど、原題ままの副題(かな?)がついているし、それで敢えて鹿殺しの部分を赤くするということは、犠牲になる「聖なる鹿」の方ではなく犠牲を選ぶ「殺し」を行う、スティーヴンの方に意識を向けさせる狙いなんじゃないかと思うので、これを”誤解させる”っていう批判はどうなのかなって気がする。誤解させないように原題ままの副題がついているんじゃない?
まあ配給会社が余計な意図を加えんなという憤りならよく分かるけど。