「ジョーカーを超える衝撃」とかは完全に言い過ぎかなって思う。
というか、盛り上がりに欠けるんだよね……胸に迫るシーンもなければ、はらはらするシーンもなく、なんかぬるっと始まってぬるっと終わり、たらたら冗長な3時間弱が過ぎ、「……で?」って感じ。
ジョーカーが成功したのはアーサー・フレック1人にフォーカスし続けたからだと思う。
それでいうとザ・バットマンは登場人物を出し過ぎている。リドラーが起こしたこの一連の事件に関わる人物たちも多いが、セリーナ・カイル、リドラー、ブルース・ウェイン、少なく見積もってこの3人に焦点があっている。故にとっちらかった印象にもなるし、リドラーが事件を起こした動機も、サスペンスドラマ終盤でよくある犯人が都合よく動機を背景から全部喋ってくれるあれと近い。「ふ〜んそうだったんですね」以外の感想がわかない。
リドラーの謎もそれって謎謎なのか? って感じだし、正直カーチェイスのシーンしか興奮しなかったんだけど、逆にカーチェイスをつまらなく撮ってる映画なんて見たことないし。
何がしたいかは分かるがとにかく退屈な上に長い。
アルフレッドが「トーマス・ウェインは悪くありませんよ」とちんたら語りかけているシーンは意識が飛びかけた。
極めつけはラストの洪水で市民にバットマンが手を差し伸べるシーン。長々とそのシーンを映し、これがいかにバットマンというキャラクターにおいては異質な行為か、ものすごく主張してくれる。そんなに主張せずともよい。くどい。
リドラー(ら)と同じ単なる復讐に生きる存在ではなくなったということをアピールしなければいけないのかもしれないが、もともとバットマンってそういうやつじゃん。自分の復讐のために生きる人じゃん。現実社会ではアウトな私刑を行うのがバットマンじゃん。バットマンとヴィランの境目は相手を殺さないかどうかだけだと思っている。いやそこまで深くバットマンのこと知らないけど、私はそういう解釈でいる。
それを、市民に手を差し伸べる存在になっちゃったら……それってバットマンなんですか??
ヒーローのあるべき姿かもしれないが、それでもこの姿はバットマンではないと思う。私は。
しかし有識者によると今作は「原作に近いバットマン像」であるらしいので、私のバットマン像が歪んでいるのかもしれない。だから聞き流してほしい。
そんなわけでつまらない+解釈違いで大爆発でございました。
ドラマGOTHAMでリドラーとペンギンがかなりしっかり魅力的なヴィランとして描かれてしまっているので(もちろん別作品では別キャラクターということを理解しているが)、今回このヴィランの人物造形には物足りないものがあった。
あとペンギンがのし上がるまでのドラマが単独作で出来るらしいが、それこそGOTHAMが丁寧にやってくれているが……? としか思えない。
ていうかGOTHAM観てほしい。私のゴッサム知識は大体このドラマ由来で、ストーリーがものすごく面白いとは言わないけれどもキャラクター造形とかはかなりうまいと思っているので
とはいえノーランの三部作もビギンズで挫折しているし、バットマンの映画ってちゃんと観たのはティム・バートンのやつだけだしそれもジョーカーしか印象に残っていないに近いし、バットマンを楽しむセンスというものがそもそも備わっていないのかもしれない。